2007年11月27日火曜日

ひらく

「いまこの瞬間以外は全てイリュージョン」であるとしても、ではいったい、何をすればよいのだろう。


自己流のやり方で心理的な葛藤を解放し、短期間で重病を治癒させてしまった人(レスター・レビンソン)が居る。

感情をコントロールする努力を放棄し、感情に向かって自分を開くだけで、いいのだという。

まず、自分自身に目を向け、そこにあるものを感じることを自分に許す。

そして 自己観察を要請する問いを、連続的に自分自身に投げかけていく。

これを手放すことが出来るか?・・・
手放したいか?・・・・
いつ 手放すか?

このような問いが、意識を『いまのこの自分』の観察 に釘付けにしてしまうのは確かだ。


意識が 「いま、この瞬間」にいることで、イリュージュン(物語)は崩れるのだ。

物語に捕らえられて身動きできなくなっていた「感情」は、自由に動けるようになってどこかに逃げて行ってしまう。

今この瞬間にあることで、イリュージョンが消える という発見は、その都度に新鮮であり、何千回繰り返そうと そのたびに新鮮な呼吸のようなものだ。意識の呼吸・・・・

しかし、イリュージョンを取り除く「目的」で、「いまこの瞬間」を観察する となると、これは目的を持った「技術」ということになる。

実際、「治療という物語」の中で、「物語外し」を使う という面白い事になるのである。

突き詰めていけば、最終的には「治療という物語」自身をも崩壊させる事になるのかどうか。これはやってみなくてはわからない。

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